飲酒履歴その1

ー飲酒履歴その1ー

 

さて、酒を控えるという行動をとり始めたわけであるが、これまでの飲酒習慣を顧みることは、今後の意識づけに対して一定の意味があるかもしれない。

そこで約20年間の飲酒状況を以下に書き連ねる。

 

■飲酒開始

飲酒習慣は大学入学とともに開始された。それまでの人生で一滴もアルコールを口にしなかったかというとそうでもないが、大学入学までは背伸びをするつもりもなかった。別に中高生で酒を飲ったり、タバコをふかしたりすることがクールとは毫も感じなかったのである。

 

大学生活においてはお決まりであるが、深夜(早朝?)まで安居酒屋や誰かの家でよく飲みつぶれた。記憶を飛ばすことはしょっちゅうであったし、赤い吐瀉物を吐いたり、道端でコケてケガをしたこともあった。

何というか、冷静に文章化すると極めて頭の悪い大学生であったと、今更ながら頭痛がする。

 

しかもこの時期は酒だけにとどまらず、飲酒時にタバコも相当ふかしていた。我々が大学生の頃は結構な割合で大学構内に喫煙者が存在していた。当時は国産タバコが250円であったということもあり、学生がタバコを吸いやすい環境であった。さらに昨今のように喫煙者に対する世間の目が厳しくなく、割とあちこちに灰皿も設置されているような時代であった。

飲み会をすれば一晩で2~3箱/人のタバコを消費していた。閉め切った部屋飲みであれば、視界が霞むほど煙にまみれていた。

個人的な感覚ではあるが、現在40歳前後のオッサンは、学生時代に酒とタバコを相当に嗜んだ世代ではないかと思う。

 

このような当時の緩めの空気や環境もあり、在学4年間で脳はアルコールとニコチンの水溶液にどっぷりと浸され続けたのである。

今になって思うと、その後の飲酒人生の素地を固めたのは、この期間の狂気じみた飲み方だったのかもしれない。

 

■社会人前半

大学生時代にドランカーのエリート教育を受けた筆者は、社会人となってからも飲み続けた。

ストレスを抱え、精神的・肉体的に疲弊した己を癒すための手段が、仕事終わりのビールジョッキを飲み干すことであった。

社会に出たばかりで仕事もろくにできず、客先・ボスからは叱られる。失敗→叱責→自暴自棄→失敗・・・の最悪の連環の真っただ中で、神経は相当過敏になっていた。

 

20時、21時頃に仕事を終えたのち、家への道すがら赤ちょうちんに立ち寄る。店の大将とママさんには「いらっしゃい」ではなく、「お帰り」と言われるほど連日馳せ参じた。

酒のつまみを口に放り込みながらタバコをふかし、ジョッキを重ねていく。ビールは平均で5‐6杯は飲んでいたと記憶している。ビールに飽きると日本酒に切り替え、熱燗のダブル2本。そして家に帰るとぶっ倒れるようにして眠りにつき、また日常に戻る。

 

そんなことを繰り返しているうちに体重は10キロも増加した。もともと高身長・痩身であったが、習慣の悪化により、腹や顔には脂肪がみっちりとついた。特に顔はパンパンのアンパンマン。また当時は筋肉質ではなかったため、胸についた脂肪は醜く垂れさがって福笑いの様相。

久々に再開する友人は全身への一瞥ののち、残念(憐憫)そうな視線を投げかける。

挙句、健康診断で医者には「早死にするで」と言われる始末。

 

遅い時間に飲食を繰り返し、タバコは吸うが運動を一切しない。そんな生活であった。

(ただ、この時でも中性脂肪コレステロール数値は異常値を認めていたものの、肝臓数値で問題となることはなく、自分では飲酒エリートとして錯乱自負していた。まあ、これがすでに病的だったののもしれないが、、、)

 

医者から脅されるとさすがに健康にも意識が向く。その後は悔い改め、ヨガ+ランニングで何とか健康診断数値を正常値まで戻した。ただ、いつでも元に戻すことができるという要らぬ自信が芽生え、運動を継続していることを免罪符に、飲酒癖が改められることはなかった。 

 

あまり長々と披歴しても胃もたれしそうなので、続きは別の記事にて。

 

Moriss