酒との付き合い方
ー酒との付き合い方-
2、3年前から酒との付き合い方に疑問を持ち始めていた。
特に誰かに迷惑をかけたわけでもなく、大失態を犯したわけでもない。
ただ、酔いが回るのが早くなり、飲酒による翌日の疲れが仕事や生活に影響を与えるようになってきた。
40歳を迎え、単純に加齢が要因であると言い切ることはもちろんできる。歳を重ねるたびに深酒がつらくなるのは誰しも感じるところであろう。
このまま加齢とともに酒に弱くなる自分を受け入れながら酒場巡りを続け、惰性で飲酒を続けることはできる。だが、自分自身の飲み方が異常であることを自覚しており、さらに日常の生産性が落ち続けている中で、その現実を甘受することは避けるべきなのである。
過去何度か禁酒を行い、1か月間酒を抜く生活を実践したことがある。
それは自分自身が酒にコントロールされ、破壊されていく恐怖への抗いであった。
そんなことを何回か繰り返したが、しばらくすると元の飲酒生活に戻った。
常に頭の片隅には飲酒に対する罪悪感が存在しながらも、一旦飲み始めると理性が制御不可能となり、気分が悪くなる直前まで杯を重ねた。
結局死ぬまでこんなことを反復するのかと考えると、まったくバカげた話であって、自らを唾棄すべき存在とみなしてしまう。
幸いなことに継続的に運動を行っているせいか、肝臓数値が少し高いぐらいで大病患いには至っていない。だが、どこかにガタがくるのは時間の問題であろう。
「自分への失望」「健康問題」「日常生活への支障」、このようなことをトータルで勘案すると、やはり一定期間酒を控えることはただ一つの選択肢なのだと思う。
今までも禁酒を試行したことはあったが、自分の脳内だけで禁酒に対する意識を自己完結することはあまり良くなかった。どうしても自己擁護に偏りがちな解釈をする傾向がある。どれほど禁酒に対する決意を新たにして意思を強く持っても、やはり思考は主観的なのである。独善的に飲酒への正当性を確保しようとする。
そのようなこともあり、文章化・記録することで、客観視の一助になることを期待し、このブログを始めることとした。
なお、断酒ブログにするつもりはない。完全に酒を断った先達には全く敬服するが、実のところ酒への未練は残っている。
「飲酒への罪悪感」「酔いからの解放」「理性の制御」という、酒による洗脳状態からの離脱テーマは魅力的である。また、これを実現化できることは幸せである。
一方で、「酒場の喧騒」「自失による高揚感」「堕落への陶酔」という、ヘビードランカーがポジティブに認識している酒の暗黒面にも後ろ髪がひかれのも事実である。
いろいろと思いつくまま乱文で書き連ねたが、まずこの最初の投稿を記事拡大の契機としたい。飲酒に充てていた時間を他の生産活動に振り当て、テーマを限定することなく記事の更新を続けていく予定である。
Moriss