なんで酒を飲みたくなるのか

―なんで酒を飲みたくなるのか―

 

飲酒という行為を改めて考えたとき、なぜ酒を飲みたくなるのか、なぜ酒を飲むことになるのかという疑問が生じる。

酒を浴びるように飲んでいた頃は、こんなことにはあまり意識が向かなかった。

「飲みたいから飲む」 ただそれだけであった。

だが、ここ2~3年は明確な答えが出ないながらも、理屈が見えてきたような気がする。

 

酒を飲みたくなる理由は各人によって異なるであろうが、概ね次の3点に集約されるのではないか。

 

1.酒の場、会話が好き

2.酒の味が好き

3.酔うのが好き

 

まず1つ目、酒の場、会話が好きという場合には、単純に皆と酒を飲んで盛り上がって楽しむということが目的になっている。酒を飲むということを純粋に楽しむ人達は、おそらくこのパターンに当てはまると思う。ハメを外して時々やらかしてしまうものの、明るい飲み方である。

度を超すと良くないが、比較的健全な飲酒性向と言える。

 

 

それから2つ目。酒の味が好きな人である。これに該当する人は、多量飲酒などはあまり目的とせず、純粋に酒の種類を勉強、味わうという経験主体で酒と付き合っているタイプである。

これまでの経験上、あまり量を飲むことができない人が多いかと見受けられる。一番スマートとも言える。がぶ飲みすることに愉悦を覚える人間には、このタイプは絶対にいない。なぜなら、そもそもどんなに美味い酒を提供されようが、味など翌日になったら忘却の彼方だからである。

 

 

厄介なのが、3つ目である。元々筆者は1タイプであると信じていたが、最近はこの3タイプであると確信している。統計を取っていないのでわからないが、軽度・重度を問わず、俗にいうアル中に包含される人々はほぼこのタイプではなかろうか。

もちろん3タイプの人々も、1には該当すると思う(多分2はない)。だが、究極的な目的が、1とは決定的に異なる。3タイプの目的は「酔っぱらうこと」なのである。

場の雰囲気、気のおけない友人との楽しい会話は、あくまで目的達成に至るまでのプロセスなのである。筆者もそうであるが、このタイプはトコトン飲み続ける傾向がある。酔っぱらって眠くなるまで、最初から最後までペースが崩れない。世間話、愚痴、無責任な与太話、猥談を繰り広げ、大いに楽しむ。そして話している最中も延々と杯を重ねる。雰囲気・会話は酔っぱらうための燃料なのである。

では、なぜ酔っぱらいたいのか。これは個々人の性格、人生観といったものにより左右されるため、画一的な判断はできない。

ただ、筆者の話をすれば、素面の自分を捨てて、鬱屈した感情を開放するためといえる。

幼少期からの認知・思考の癖であるが、日常生活の中で自身を矮小化し、相対的な自己評価を否定的に振り返すことが多かった。そのため脳内では思考の澱が蓄積し、掃除を求める。

飲酒による高揚感を獲得し、理性を外すことで刹那的な自己確信を高めたいのである。

終着点まで飲み続けることで、酒場にいるときだけの自分は自由になれる。これが筆者の飲酒欲求の淵源であると分析している。

 

しかしながら、一時だけ桃源郷に赴いたとしても時限的なものであり、酔いが醒めれば寂寥感に苛まれる。何も産み出さないし、ほとんど意味はない。

 

Moriss