関西人の粉物好き

―関西人の粉物好き―

 

さて、唐突ながら関西人はお好み焼きが好きである。

筆者も関西人であることから、お好み焼きは大好きである。偏執的なまでに好きである。

 

東京に引っ越してきてからというもの、あまりお好み焼きを食べる機会がない。

否、積極的になればいくらでも食べる機会はある。だが、行動を起こさない。

なぜか。関西本場のお好み焼きが恋しいからである。

 

本稿にて東のお好み焼きを否定するつもりは毛頭ない。そもそも文化が異なるのであるから、それは野暮というものである。また、東京にもかなり関西の味に近いお好み焼き屋は存在しているので、そんなことを語るのはあまり意味がない。

しかしながら、やはりお好み焼きは関西なのである。

東にいる期間が長くなるにつれ、お好み焼きへの哀惜の念が募る。時々思う。

「なんでこんなにお好み焼きに執着するのか」

 

関西食文化は粉物だけではない。関西出汁のおでん、おばんざい、漬物など枚挙に暇がない。

どれも東ではあまり食べることのできない代物である。だが、これらの食べ物にはそれほど恋焦がれない。

そんなことから、関西人がお好み焼きを愛してやまない理由を考えてみたところ、「お好み焼き」という存在が、関西人のマインドとうまく馴染んでいることが背景にありそうである。

考察の切り口を「歴史・文化」と「関西人のDNA・気質」として語ろうと思う。

 

※なお、本稿で言う「関西」は主に大阪を中心とした畿内の意である。

 

 

お好み焼きの歴史・文化

まずはお好み焼き、ひいては粉物の文化がいかに日本→関西へと広まったかということを調べてみる。

 

歴史・文化を語るにつけ、まずは原料となる小麦粉にフォーカスを当てることとする。

日清製粉グループの情報では、小麦は弥生時代中期から生産されており、当時は「重湯」のような形で食事に使用されていたようである。その後、紀元前2000年頃にはパンに似たものも作られていたとのこと。かなり昔から祖先の食卓には小麦が並んでいたということになる。

 

その後の広がり方としては、鎌倉時代に入ると饅頭が世の中に出回り、安土桃山時代ではお好み焼きの原型とも言われる「麩焼き」が茶会にて提供されることとなる。

この麩焼きは千利休が考案したと言われており、茶会での目新しいもてなしを模索し続けた茶聖ならではの発想によるものである。

味噌・山椒・芥子の実などを薄く焼いた小麦で包んだものであり、クレープのようでもあるが、どちらかというと薄皮饅頭に近いのだろうか。今でこそよくある食べ物であるが、当時としてはかなり斬新であったと思われる。

 

「麩焼き」によりお好み焼きのベースが出来上がったが、まだまだお好み焼きには遠い。

この後、麩焼きは少しずつ形を変えていく。

まず、江戸時代には「助惣焼」なるものが江戸を中心として売られ始めた。

これはクレープ状の生地で餡子を包んだものである。形状としては棒のようであり、皮の柔らかい春巻きお菓子といった風情である。この頃から小麦で何かを包むという用途で利用することが広まったのであろう。

明治になると東京では「どんどん焼」、近畿では「一銭洋食」の人気が出始める。

麩焼き・助惣焼はともにお菓子としての位置づけであったが、これらの焼き物は軽食として味付けられ、ボリュームも少し大きくなった。

「どんどん焼」は「もんじゃ焼き」を持ち帰りできるよう、固めて作ったものが起源と言われている。なるほど、ここまでくると確かに小型のお好み焼きの様相である。

一方で「一銭洋食」は、薄く焼いた小麦粉の上にネギ・肉片などを乗せ、半分に折りたたんで巻いた食べ物であった。味はほぼお好み焼きであろうが、具を小麦粉で混ぜて焼き上げるというものではなかった。

「どんどん焼」と「一銭洋食」を比較すると、明らかにどんどん焼のほうがお好み焼きに近く、お好み焼きのルーツが関東圏であったことは意外な発見であった。(正直、何となく大阪圏で流行りだしのだろうなと推測していた、、)

 

その後、昭和初期にはどんどん焼は東京で「お好み焼き」として変化し、西方にも広がることとなる。

 

 

■関西地方(大阪近隣)でのお好み焼きの広がりと、DNA・気質

上述した通り、お好み焼きは元来関東圏で広まったものであるらしい。

であるならば、なぜお好み焼き=関西という構図が社会通念として一般化しているのか。

そして、どうやって関西でお好み焼き文化が発展・定着したのかということが疑問となる。

 

これに対する回答は次の2つである。

・DNA

・文化としての土壌

 

1)DNA

DNAから関西でのお好み焼き文化が実現したことを考えてみたい。

これは先天的なものと後天的なものに分かれるように理解している。

 

まず先天的な話では、お好み焼き、ひいては粉物文化が関西人にとって容易に浸透した裏に、大昔から麦を積極的に食していたということが挙げられそうである。

これは国内の比較論であり、日本を真ん中で分断した場合に、昔から東~北は米処のイメージが強い。(もっとも北海道が小麦の産地であることは重々承知している)

どちらかというと、米が中心の食文化と言えそうだ。

 

一方で、西日本や畿内では鎌倉時代から二毛作が行われていた事実がある。また、麦類の生産量においては、北海道に次いで福岡県、佐賀県と順に並ぶことからも、西方にて麦の生産が多かったこともわかる。つまり、米も作るけど、小麦も育てて食べるよという文化であったのだろう。

これだけの証左で決めつけを行うことは良くないかもしれないが、少なくとも関西では麦を食する文化が過去から醸成されており、関西人のDNAにも粉物を容易に受け入れる態勢は先天的にあったと言えそうだ。

 

※ちなみに筆者が東に引っ越して初めて知ったことだが、食パンのカットが基本6枚、8枚切りであることは驚いた。関西は5枚か6枚が主流である。これも小麦を分厚く食したいという願望ゆえか?

 

 

次に後天的な話をすると、大雑把には次の文言に集約される。

「関西では子供のころから粉物教育が施される」

 

別に粉物文化の学習を受けるということではない。では何か?

食事/おやつとして、幼少期からかなり粉物に触れることになるのである。お好み焼きのみならず、たこ焼き、うどんなどを頻繁に食する。関西ではどこの家でもたこ焼き機があるという話を聞いたことがあるかもしれない。実際は嘘だが、勢いとしては間違っていない。(筆者の家にはたこ焼き機はなかった)

何故そんなに粉物が出るかということだが、シンプルに美味しいので家族皆が喜ぶということと、手軽に作ることができる割に腹持ちがよく、ママさんハッピーということなのであろう。

つまり子供時代から食事として粉物が提供されることは至極普通のことであり、何らの抵抗も持たないように訓練される。

 

筆者はずっと関西で育ったので、東における家庭での食事事情は明るくない。だが、お好み焼きを3食のいずれかで供することは、ゼロとは言わないまでもかなり頻度として低いのではないだろうか。

筆者の家庭では、土曜や日曜の昼食にお好み焼きやうどんがよく出てきた。お好み焼きの具には豚肉やイカ・エビが入っており、さらに甘辛いソースと酸っぱいマヨネーズが、子供の舌には大ウケする。また、お好み焼きは家庭用のホットプレートで焼き上げ、家族皆で小さなコテを使って切り分けて食べる。後述するが、このワイワイした雰囲気が楽しかったりもした。

 

このような環境に基づき、半ズボンを穿いて遊びまわっている頃から徐々に粉物の虜となり、一端の粉物好きは高校生くらいになると、自分だけの美味い店を探し始めるようになる。

筆者もご多分に漏れず、高校からの帰宅途中に友人とお好み焼き屋に顔を出していた。

15時半頃に寄り道していたのであるから、おやつ感覚である。もちろん夕飯は家で改めて食べていた。(なお、この店には今でも年1~2回は顔を出している。)

つまり何が言いたいかというと、関西では図らずも粉物の英才教育が行われており、意図せずお好み焼きやたこ焼きに心がときめくように育ってしまうのである。

 

※脇道に逸れるが、関西人がお好み焼きを食事として認識しているスゴイ食べ方がある。

それは、【お好み焼き+白ご飯+味噌汁=お好み焼き定食】 というものである。

つまりお好み焼きがオカズとなっているわけだ。この事実を鑑みても、いかにお好み焼きが食文化に深く根差しているかがわかると思う。

 

 2)文化としての土壌

 

【ワイガヤ】

関西人はワイワイガヤガヤが好きである。

街中もワイワイ、電車の中もガヤガヤ。もちろん食事の最中も喧騒が好きである。

 

おおよそお好み焼き屋は次の2パターンに分かれる。

・カウンターに長い鉄板があり、オヤジまたは女将さんが客の前で焼く

・個別テーブルに鉄板がついており、店の奥で焼き上げたものを供する

 

カウンター形式であれば、オヤジが客と会話を弾ませ、あるいは客同士で盛り上がったりする。

この場合において、客同士が知り合いである必要性は全くない。赤の他人でも勝手にしゃべりだす。

なお、近畿圏では割と普通の光景である。

またテーブルでは、大体は友人・家族と食べに来ているケースとなろう。焼きあがるまでの時間は酒でも飲んで歓談しつつ、鉄板にお好み焼きが届けばウマイウマイとホフホフしながら食べる。そしてしゃべり続ける。

 

要するにカウンター、テーブルを問わず、ヒトとの物理的距離が近く、味だけでなくヒトの集合体としての雰囲気や時間の使い方も楽しんでいる。常にワイガヤの状態である。

 

【混ぜ好き】

ざっくりとしたお好み焼きの作り方。

小麦粉にキャベツ・卵を入れる→山芋少々を入れる→好きな具材を入れる→「混ぜ混ぜ」→焼く

 

この「混ぜる」という行為に注目したい。

お好み焼きを混ぜる行為には、卵をとかすことは勿論、フワッとした仕上がりを実現するため、空気を含ませる意図もある。さらには焼き上がりの際に具材が偏らないよう、均一化する目的もある。

これはお好み焼きを焼くためには欠かせない合目的な調理過程である。

 

ここで一歩踏み込んで「混ぜる」を考えてみると、関西人は料理を結構こねくり回す。

丼もの、カレー、果てはミルクを入れたアイスコーヒー、、、

親子丼、牛丼は全体にだし汁をなじませるために混ぜる。

カレーは、汚い・見苦しいとわかっていながらも混ぜる。人前では極力控えているとしても、家で一人きりであればおそらくかき混ぜるはずだ。

アイスコーヒーにミルクを入れたおばちゃんは、意味もなくカラカラとストローを回す。これ以上攪拌できないにも関わらず何故か混ぜたがる。

 

単純な目的としては、味の均一化という合理性に基づくものであり、その背景には食べ口によって味が異なることはもったいないという一種のセコさがあるのかもしれない。

要するにカレーを食べる際には、白米の口への運び方につき、カレー:ルーが1:1でなければ何か損したような気がするという話である。(知らんけど)

 

一方で関西人の気質をベースに概念的な検討をすると、カオス状態にあることを望む傾向があるという結びになる。

丼もの、カレーを例にすると、きれいに盛り付けた状態で供されても、かき混ぜる。混ぜ混ぜ混ぜ混ぜ。そしてこれは食事に限ったことではない。ファッションにもそのような傾向がある。

関西圏(特に大阪)を歩いていると、なぜその組み合わせなのかという理解に苦しむような服装をしている御仁がいる。同一ブランドでシンプルかつ涼やかにまとめれば、決しておかしなことにはならない。だが、混ぜる。敢えてくどくなるようにしているとしか思えない。個性と言ってしまえばそれまでだが、、、カオスである。

 

つまり、地域の空気として、整然としていることを「スカした感じ」と受け取り、原型破壊・にぎやかしが是と認知されている。

無理やり感が否めないが、混ぜ混ぜするお好み焼きも、関西の文化として馴染んでいるのである。

 

 

■結びとして

歴史的な背景においては、お好み焼きの原型は関東で出来上がった。

しかしながら、お好み焼きという食べ物が広く浸透し、固有イメージを確立したのは関西であった。

本稿では、関西人が昔から麦類を食べることを日常のものとしており、その遺伝的な裏付けにより受け入れられやすかったこと。また関西では成長の過程で粉物に触れる機会が多いことを記した。

 

そしてワイガヤ、混ぜるという行為に通底する関西人の気質とマッチして、粉物文化が無意識ではあるものの肯定的に定着したという結論を出した。

実際のところ、粉物の手軽さや、そのバラエティー色豊かな面も要因となり得ようが、あまり面白い話になりそうではなかったので、今回の主眼から外した。

 

 

■その他思うこと

お好み焼き定食

上述したが、お好み焼き定食というものが関西にはある。

チェーンのお好み焼き屋ではあまり見かけないが、大阪の個人店では昼間のサービスとして提供してくれる。

食べる人は好んで食べるが、筆者は好んで食べない。

何故か、炭水化物 on 炭水化物だからである。ラーメン定食もよく似たものだろうという声が聞こえてきそうであるが、はっきり言って異なる。

何といえば良いだろうか、重いのである。汁っ気がないので、味はついているものの、大量の米をかきこんでいるような気がする。それに個人経営の店のお好み焼きははっきり言ってデカい。それだけで十分なのである。

 

ただ、気になった方はぜひ関西で試してほしい。

 

 

・イラチ

混ぜて焼くだけの手軽さが関西人に受けていることは間違いないと思うが、焼くには時間がかかる。

手軽さは好ましいが、時間がかかることは嫌う。

店でお好み焼きを注文すると、食べ終わるまでに最低でも30分はかかる。

まず焼きあがるまでに10分ほど要するため、イラチ(=せっかち)な関西人にはあまり好ましいことではないのかもしれない。

だが、事実は異なる。皆文句を言わずに焼き上がりを待つ。

結局のところ、【お好み焼を食べる喜び>待つ時間】 の公式が成り立っており、先にも書いたが、皆ワイワイしているのでさほど時間が気にならないのであろう。

本当に昼から酒を飲んでスポーツ新聞を広げて待っているオッサンも普通にいる。

 

だが、これだけは言っておかねばならない。店に入って焼き上がりは待つが、外で入店待ちをすることは極端に嫌う。この点はイラチなのである。

 

 

Moriss

漫然とした取り組み

―漫然とした取り組み―

 

9月から飲酒機会を減らすこととしてきた。

最初に1週間断酒を行い、ことのほか体調が良かった。そのため、体の快適性を考慮し、飲酒に対して従来ほどの積極性がなくなったように思える。

とはいうものの、週1回は飲み屋に赴き、相も変わらず酔っぱらっている。

 

別の記事でも言及していたことではあるが、やはり一旦酒が入ると制御は困難となる。

これは素面時の飲酒欲求が減退したとしても、関係のないことである。

やはりアルコールは脳の統制を麻痺させ、理性を崩壊させる。

結局のところ過剰飲酒を控えることを誓い実行しようとしても、コップ一杯のビールで、淡雪のような志は溶解してしまう。

 

何万回と逡巡したことではあるが、酒飲みが飲酒を手控える方法は、唯一断酒することのみなのであろう。

しかし、その一生にわたる断酒へのケツイはあまりにも難しい。

3日ほどの連続飲酒が続くと、さすがにもう暫く飲みたくないと感じる。この時ばかりは、飲酒から解放されることに心から感謝する。もう暫く飲まないとケツイする。

だが、腐った呼気が元通りとなり、便通も正常になるころには、コンビニのアルコール庫がキラキラし始める。

幾度となく繰り返す思考と行動。心を改め、ケツイすることほど虚しいことはない。

 

昔読んだ大前研一氏の著書にこんなことが書いてあった。

―自分を変えるためにはおおよそ次の3つの方法しかない。

・付き合う人間を変える

・時間の使い方を変える

・住む場所を変える

 

これは本当に本質をついている。

 

例えば本気で断酒を検討する場合に、「明日から飲まない!」と心を決めても意味がない。

友人や家族に「酒をやめる」と公言しても、相手のいない場所でコソコソ飲む。

アルコール外来に通い抗酒薬を処方してもらう?いやいや、鉄の意志で薬を飲み続けることができるであろうか。

こういった一見能動的でありながらパッシブな手法では、最初は順調であっても、何らかのきっかけで意志は瓦解する。

 

では、どういう方法が良いのか。筆者がこれを実行するかどうかは現時点ではわからない。

だが、過去に酒を飲むことがリスキーであると感じた時期があった。それは一心不乱に仕事上の業務をこなしていたときである。ブラック企業で追い込まれていたということでは全くないが、やはり季節によってはパニックになるほど忙しい時期があった。

そんな時期には会社内では一日中振り回され、帰宅後も大量の業務を効率よくさばくためのアイデア出しに脳を使い続けていた。

はっきり言って酒を飲んで思考を鈍らせ、時間を失うことは恐怖であり、愚かな行為とさえ認識していた。

 

この事実から導出できることは次の通りであろう。

グダグダと酒を飲んでいる余裕があるときは余剰時間に飼い殺されており、脳内での生産活動を怠けている状態である。

 

つまり、時間の使い方を変えてしまえばよいのである。

禁酒・断酒により発生する余剰時間の使い方を考えるのではなく、そもそも存在する余剰時間を先に埋めてしまうという解釈が正しい。逆説的に捉え、酒を飲んでしまうと実行すべきタスクを実現できないようにするのである。

ただ、これも言うは易し行うは難しであって、相当に自分を興奮させる趣味や、責任を伴うものでなければ三日坊主になる。

 

筆者は俗物であることを自覚しており、凪のような心持で長期間酒から離れることはできそうにない。恥ずかしながらアルコールによる快楽は人生の妙薬であり、自己解放の手段である。

うまく報酬系回路を作用させながら、酒の代替になるものに時間を費やすことが飲酒離れの一歩となるのであろう。Nanika wo sagashimasho.

 

秋も深まりつつある。

秋霜覆いしススキと、路辺のドングリ。山の端から抜け聞こえる国道の土煙。

一輪を手押す祖母の手ぬぐいホッカムリ。

 

どうも今年は田舎の秋を楽しめそうにない。つまらないから、ボジョレー解禁までまた酒断ちすることとする。

 

Moriss

なんで酒を飲みたくなるのか

―なんで酒を飲みたくなるのか―

 

飲酒という行為を改めて考えたとき、なぜ酒を飲みたくなるのか、なぜ酒を飲むことになるのかという疑問が生じる。

酒を浴びるように飲んでいた頃は、こんなことにはあまり意識が向かなかった。

「飲みたいから飲む」 ただそれだけであった。

だが、ここ2~3年は明確な答えが出ないながらも、理屈が見えてきたような気がする。

 

酒を飲みたくなる理由は各人によって異なるであろうが、概ね次の3点に集約されるのではないか。

 

1.酒の場、会話が好き

2.酒の味が好き

3.酔うのが好き

 

まず1つ目、酒の場、会話が好きという場合には、単純に皆と酒を飲んで盛り上がって楽しむということが目的になっている。酒を飲むということを純粋に楽しむ人達は、おそらくこのパターンに当てはまると思う。ハメを外して時々やらかしてしまうものの、明るい飲み方である。

度を超すと良くないが、比較的健全な飲酒性向と言える。

 

 

それから2つ目。酒の味が好きな人である。これに該当する人は、多量飲酒などはあまり目的とせず、純粋に酒の種類を勉強、味わうという経験主体で酒と付き合っているタイプである。

これまでの経験上、あまり量を飲むことができない人が多いかと見受けられる。一番スマートとも言える。がぶ飲みすることに愉悦を覚える人間には、このタイプは絶対にいない。なぜなら、そもそもどんなに美味い酒を提供されようが、味など翌日になったら忘却の彼方だからである。

 

 

厄介なのが、3つ目である。元々筆者は1タイプであると信じていたが、最近はこの3タイプであると確信している。統計を取っていないのでわからないが、軽度・重度を問わず、俗にいうアル中に包含される人々はほぼこのタイプではなかろうか。

もちろん3タイプの人々も、1には該当すると思う(多分2はない)。だが、究極的な目的が、1とは決定的に異なる。3タイプの目的は「酔っぱらうこと」なのである。

場の雰囲気、気のおけない友人との楽しい会話は、あくまで目的達成に至るまでのプロセスなのである。筆者もそうであるが、このタイプはトコトン飲み続ける傾向がある。酔っぱらって眠くなるまで、最初から最後までペースが崩れない。世間話、愚痴、無責任な与太話、猥談を繰り広げ、大いに楽しむ。そして話している最中も延々と杯を重ねる。雰囲気・会話は酔っぱらうための燃料なのである。

では、なぜ酔っぱらいたいのか。これは個々人の性格、人生観といったものにより左右されるため、画一的な判断はできない。

ただ、筆者の話をすれば、素面の自分を捨てて、鬱屈した感情を開放するためといえる。

幼少期からの認知・思考の癖であるが、日常生活の中で自身を矮小化し、相対的な自己評価を否定的に振り返すことが多かった。そのため脳内では思考の澱が蓄積し、掃除を求める。

飲酒による高揚感を獲得し、理性を外すことで刹那的な自己確信を高めたいのである。

終着点まで飲み続けることで、酒場にいるときだけの自分は自由になれる。これが筆者の飲酒欲求の淵源であると分析している。

 

しかしながら、一時だけ桃源郷に赴いたとしても時限的なものであり、酔いが醒めれば寂寥感に苛まれる。何も産み出さないし、ほとんど意味はない。

 

Moriss

―酒断ちから飲酒へ―

―酒断ちから飲酒へ―

 

9日間の短い期間ではあったが、酒を断っていた。

10日目にして再飲酒となったわけであるが、この1回の飲酒が、酒を抜いていた体に与えた影響をお話ししたい。

 

なお、この時の飲酒量はジンソーダ約10杯、日本酒2合くらいである。夕飯をまともに食べず、すきっ腹に酒を流し込んでいたこともあり、酔いが回るのが早かった。

23時半頃に空腹に耐えかね、松屋でハンバーグ定食を食べるという荒業も行った。ちなみに。

 

 

■体への影響

まず、スッキリしていた顔の表情は一瞬にして曇った。瞼はぼんやりと膨れ上がり、目はトロンと疲れた様相を帯びる。酒の影響だけではなく、遊び疲れが一要因になっているとは推測できるが、それにしても恐ろしい。

 

次に腹周りのぜい肉であるが、目に見える著しい変化はなかった。腹肉をつまんでも、前日のプニ感と大差はない。ただ、なんと表現すればよいか、、、これは個人の感覚的なものではあるが、明らかに圧迫感、脂肪の重みによる鈍重感がまとわりついていた。

 

胃腸については、胃の状態は最悪。吐き気にこそ襲われなかったが、消化不良による胃のだるさ、食欲の減退は強く認められた。昼食をとることにさえ、抵抗を覚えた。

また、腸については一日中軽い下痢を繰り返した。それまで酒抜きによる便秘が続いていたので、好都合と捉えることもできるが、やはり体にダメージがきているのは間違いない。

 

 

■思考面への影響

当たり前のことであるが、寝起きは散々であった。午前中は軽い頭痛に悩まされ、何もする気が起きない。能動的な行為は苦痛でしかなく、受動的なものにすがるしかなかった。

たまたま休日であったためアマゾンプライムで映画を見始めたが、どうにも集中できない。無意識に昨晩飲酒中の会話内容を反芻し、痛飲したことに対する後悔が幾度となく頭の中を駆け巡る。

もはや受動的な行為であってもまともに対応できない状態であった。

 

思考力に関しては、思考力の高低を言及する以前に、そもそも思考をすることが億劫であった。酒断ち期間中の思考に対するワクワク感は完全に喪失していた。

また、感情面でも極めてネガティブであった。平生から継続飲酒を続けていれば、痛飲した翌日でもそれほど感情の起伏は生じないのかもしれない。(もちろんこれは悪癖には違いないのだが)

しかしながら、わずか9日間とはいえども酒を断ち、脳・体調面で一定の爽快感を得ていた。このようなプラス状況からの暗転、不快感への墜落には、感情が過剰に反応し、憂鬱感を増長した。

 

 

■今後の対応

まず酒を控えるということを客観視する目的でこのブログを開始した。

9日間の断酒により得ることができた効果は大きかった。これは飲酒を控えるという意思を強力にバックアップしてくれるものである。

一方で、酒との付き合い方についても示唆を与えてくれた。

 

「酒を控える」という表現は非常に玉虫色であり、どうにも茫洋としている。つまり、「禁酒」や「断酒」という名言ではなく、日本人が好きな曖昧さを包含した言い方なのである。

そもそも飲酒が好きで、飲酒行為自体を完全にストップする気は今のところない。朋訪ねてくれば酒食で歓待し、大いに楽しみたいという気持ちはどうしても残る。だから、長期間にわたる「禁酒」や「断酒」は正直辛い。だから「酒を控える」ということにした。

ただ、今回の一件で分かったことであるが、期間を定めずに短期断酒⇒折に触れて飲酒という流れは、喪明けの痛飲であまり良くないような気がする。

もちろん飲酒総量は激減するのであるから、健康面ではこれまでより大いに改善期待ができる。

が、結局のところどっちつかずという心情的なしこりが残り、自分の小賢しさに軽く失望しているのである。

 

過去、ドランカーの諸先輩方が酒との付き合い方に苦悩されてきたのも理解できる。

当面はこんなことを繰り返すのかもしれないが、それはそれで体調、心情の変化をウォッチすることができ、記事のネタになるかもしれない。(と、一応自己弁護しておく)

 

 

Moriss

―1週間の酒断ち その2―

―1週間の酒断ち その2―

 

前回記事に続き、「その2」は9日間の酒抜きによる、思考面への影響を話していきたい。

 

■思考面への影響

1.思考力

酒を抜くことで思考力は確かに回復する。しかも、かなり効果がある。

多量飲酒を続けている人間ほど、この傾向は顕著に出るはずだ。

 

まず、飲酒を継続しているときの状況から書いていく。

痛飲の翌日はまずまともに仕事ができない。思考力ゼロ、会話力ゼロという有様であった。特に会話に至っては、相手の言うことは何となく理解できるものの、脳内で情報整理が遅れ、発話するまでに時間を要することが度々あった。切実に言語障害が起きているのではないかと心配するレベルである。本当に会話の大部分が「あー」とか「えー」に占拠されたこともあった。

これはシンプルに翌日まで酒が残っていただけかもしれないが、飲酒中とは異なり、意識が冷静なだけに焦った。

また、深酒を繰り返していると、一日中頭にモヤがかかったようになる。筆者は毎日酒を飲むわけではなかったが、常人と比較すると1回の飲酒量が半端ではないため、ずっと脳に酒が居座っているような感覚があった。日常的な生活や仕事面で大きな支障が出るような状態ではないものの、脳神経に足枷がはめられているようであった。

新聞やニュースから情報・物事を理解する際、敷衍して発想することや、連続的な階層の掘り下げに苦慮することが多かった。言い換えると、思考が途中でストップしてしまい、雑音が思考の中を巡るということになろうか。

 

長年の飲酒習慣及び加齢とともに、脳の衰えを痛感していた。あまりにも日常的なことであったため頓着していなかったが、実際に4日ほど酒から離れると、思考力は確かに良くなった。

別に頭が良くなったとかそういう話ではなく、元の状態に戻りつつあったと言える。

実際、仕事で企画作業を行っていても、飲酒中であれば、頻繁に椅子の背もたれに寄りかかり、虚空を仰ぎ見ながら空想に浸ることが常であった。しかしながら、ここ数日はかなり前のめりでPCを打鍵し続けることができていた。脳を使うことを厭わず、むしろ楽しいとさえ実感していた。

 

 

2.行動力

積極性が高まったという表現が正しいかもしれない。

まず、深い睡眠を確保することができるようになって、脳・体の疲れが軽減した。寝起きも良くなり、朝から快活になったのは事実である。

前日の酒が残っている状態では、どうしても動くことに及び腰になり、平凡な日常をそつなくこなすことに従事していた。飲酒習慣があると、夜は「酒の時間」として捉えられ、その楽しみのために朝昼の時間を漫然と消化する。否、酒により行動力の発露が抑え込まれ、怠惰な生活を甘受してしまうのである。

だが、酒が体から抜け、脳がきっちりと仕事をし始めると、一日という時間の消費にプランニングが入る。時間の浪費を嫌うようになるのである。仕事や趣味をしていても、集中力が高まり時短になる。

たった9日間だけの酒断ちであったが、この効果は明確であった。

 

禁酒・断酒により人生すべてが好転するという論調は疑問であり、はっきり言ってあまり好きではないが、一日の使い方に変化が出るのは間違いない。

 

 

3.考え方

これは行動力とラップする部分があるが、まず、動くことに積極性を持つようになる。

生来引っ込み思案で、行動を起こすことに時間がかかるというのもあるが、飲酒習慣により「面倒くさい」という感情が上乗せされ、行動力は相当落ち込んでいた。

だが酒が抜けると、否が応でも酒以外の楽しみを求めるようになる。従来の行動に対する報酬はアルコールで酔うことであり、これによる脳内麻薬で日々の悦びを享受していた。酒抜きにより脳内麻薬が産み出せないとなると、何か別の方法を脳が模索し始めるのは至極当然のことなのであろう。

元々筋トレと投機が半分趣味のようなものであったが、こちらへの時間配分が増えたのは事実であるし、さらに何か別のものを探している自分もいる。このブログもその一環なのかもしれない。

 

あと付け加えると、些事が気にならなくなった。

どうも酒を飲んでいると、些末なことに意識が向き、つまらない時間を割り当てているような気がする。

卑近な例で言うと、業務上のメールを作成する際、必要以上に相手の心情を裏読みしてしまっていた。表現が失礼ではないか、この文脈でこちらの意図をくみ取ってもらえるか等々、、、

しかしながらこの点に関しては、酒を抜き始めてから次第に気にならなくなった。

酒抜きによる集中力が増したことにより、本来注力すべき事柄に邁進することで、気にならなくなったのであろう。

この点については浅薄なポジティブ思考というようなものではなく、そもそも何故酒に浸るような生活を送っていたかという面にまで遡る必要がある。詳細はまた後日にするが、一言でまとめれば、酒を飲む習慣が自身を矮小化させていたところ、そんな自分が酒をコントロールして、米粒ほどの自信を取り戻したからである。考え方が変わる要因などは、マインドとしてはちっぽけな認識変化であって、大元は行動の変化でしかないのだと思う。

 

 

4.時間の使い方

上述したが、時間の使い方は変わらざるを得ない。

特に脳の報酬系回路を快い感情で充足するためには、アルコールに匹敵するような時間の使い方が求められる。下卑た言い方をすれば、中毒性が高いアルコールに代替する、脳汁があふれ出ることをしたくなる。

 

では、筆者にとってそれが何かというと、当面は「筋トレ」と「投機」である。

この二つは趣味に近いものであるが、図らずも心地よい脳内麻薬が出る。

アルコールを体内に取り込む代わりに、筋トレと投機により一種の興奮を獲得することができる。

酒を飲まなければ、仕事が終わりに寄り道することなく真っすぐ家に帰る。帰宅後、さて何をしようかと考えたときに、ジムに行くという選択肢がまず出てくる。

1~2時間みっちりとトレーニングすることで心地よい汗をかき、ドーパミンとアドレナリンが脳内に充溢し幸福感を味わえる。

レーニング後は健康的な夕飯を食べる。まだまだ就寝まで時間があるため、ゆっくりと投機銘柄の選定を行う。大きな金額を動かし短期的売買を繰り返すスタイルではなく、1週間くらいの期間の値動きを追いかけるスタイルである。神様でもなければ値動きを完全に読むことなど不可能であり、買ったり負けたりではあるが、これはこれで面白い。負ければ当然気分の良いものではないが、大勝ちを狙うより、大負けしないことを念頭にトレードすれば比較的淡々とインアウトを実行できる。

酒を抜いていた期間は、慌ててトレードすることなく、じっくりとタイミングを待つことができていた。これは負けないためには重要なことであり、おおきな効用であった。

 

 

5.まとめ

ということで、短期間ではあるが思考面の変化をまとめると次のような話かと思う。

 

・飲酒疲労が残らないため、朝から気分よく行動できる

・集中力が上がり、思考力が回復する

・つまらない事柄に気を揉まなくなる

・時間の使い方が変わる

 

 

Moriss

―1週間の酒断ち―

酒を控えるという宣言のもと、9日間一滴も酒を飲まない日々を送っていた。

忙しく仕事や趣味をこなしているうちは不思議と飲酒欲求もまぎれていた。

 

が、連休に入って時間的な余裕ができると、無性に誰かと時間を過ごしたくなり、飲み屋を訪問してしまった。そもそも禁酒期間を設けたり、断酒をするつもりもないので、後悔や自己嫌悪に陥るようなことはない。しかしながら、ある程度の期間酒を抜いていると、飲酒よる体調・思考へのネガティブな影響は顕著であることが分かった。

 

せっかくの機会なので、わずか9日間ではあるが酒を抜いていた間の体調・思考と、飲酒翌日の体調・思考の違いを話してみたい。(少し長くなるので、2,3の記事に分割してお話しする)

 

 

■9日間の酒抜き

【体調面】

1.目に見える肉体への影響

・顔つき

酒を飲まないことによる好影響として顕著だったのは、顔つきが変わるということである。

継続的に飲酒を行っていると、顔のむくみがなかなか取れない。ビールやサワー、焼酎などの形で過剰に水分を摂取しているのであるから、顔が腫れぼったくなるのは当然である。

さらに肝臓や腎臓に負担をかけ続けることで、内臓的にもむくみを誘発しているのであろう。

だが、3日酒を抜くだけでむくみは劇的に改善した。ここ最近、むくみのせいで瞼は肥厚し一重になっていたが、元来の中二重にスッキリと戻った。

また、頬についていた脂肪も幾分落ちたような気がする。残念ながら首元の脂肪は9日間では大きく変化しなかった。

 

・肌の質感

肌ざわりも結構変わったように思う。継続飲酒をしていると肌のザラつきがひどかったが、酒を抜くと肌がしっとりとしたように感じる。何というか、すべりが良くなったという表現が適切かもしれない。

さらに、加齢とともに二の腕の後ろにブツブツが増えてきて困っていたが、これも目立たなくなった。

たまたま肌のターンオーバーの時期と重なっただけかもしれないが、ここは肯定的に受け取っておくことにしよう。

 

・腹周りの脂肪

これはありがたい変化であった。筆者は週3~4回は筋トレを行っており、そこそこ引き締まった体つきをしている。だが、腹周りの浮き輪だけは、どれほどハードなトレーニングで追い込んでも落としきることができずにいた。

飲みに行けばカロリーの高いアルコールを摂取し、好相性のフライものをバクバク食べるのであるから、裏切ることなく脂肪はきっちりと付いてくれる。たとえ脂肪が付いても、筋トレをして除去すればよいという理屈でトレーニングに励むが、腹の浮き輪だけはネッチリと居座ってくれていた。

別にフィジーク選手のようにバッキバキな体つきを目指しているわけではなく、ある程度の浮き輪はどうしようもないものとして諦めていた。だが、酒を抜くだけで9日間の間に徐々に脂肪が消えつつあった。

結局のところ、浮き輪が取れない理由は、単純なカロリー過剰摂取に拠るものであったのだろう。

 

 

2.内臓、内部機構への影響

代謝(特に排泄)

尾籠な話ではあるが、排泄に関しては良い面も悪い面もあった。

 

まず良い面としては、尿の色が薄くなり、適切な回数の排出を行うことができるようになった。

飲酒に伴い体は脱水状態となる。脱水状態を回避するために水やスポーツドリンクを適宜飲むべきであるが、酔っぱらいは相当量の水分をアルコールという形で体内に取り込んでおり、飲酒後に正しい水分の追撃はかなり辛い。

アルコールを希釈することなく就寝すれば、体は脱水症状でカラカラになる。半ば気を失っている状態で眠りにつき、一度も起きることなく朝を迎える。飲み屋で一体何リットルの水分を摂ったのかわからないほど飲んだとしても、夜中にトイレに起きることがない。それどころか、起床後にも強い尿意は感じないのである。全く恐ろしい話であるが、当然翌朝一回目の尿は、濃い黄色。不健康極まりない。

朝になれば喉と胃を潤すために大量の水分補給を行うが、一度に多量の水分が体に入るため、トイレ訪問の間隔はごく短くなる。その反動なのか、その後はあまり水を飲まなくなり、結果的に不規則な尿の排出となる。

 

一方で、酒抜き期間中は極端な喉の渇きに見舞われることがなく、一日中適度な水分量を適当なタイミングでとることができる。結果的に尿の質も改善し、排出も適切な回数になった。

あと不思議であったのは、酒を飲まない期間はやたらと水が美味く感じた。特にこだわりのある水を飲んでいるわけでもなく、スーパーで2リットル100円くらいで売っている普通のペットボトルの水である。これは理由がよくわからない。

 

次に悪い面。

排便に関しては、ビール(その他アルコール)に頼っていた面が強かったようである。

ビールを飲んだ翌日はきっちりと排泄を行うことができていたが、酒を抜いた翌日からは便秘になった。(もっとも飲酒後の排便の質が良いかというとそんなことはなく、ただ、出すことができていたとうレベルである)

全く便意をもよおさないわけではなかったが、トイレに行ってもスッキリせず、5日間くらいは腸が重苦しい状態であった。乳製品を多めにとって無理やり排便を促したが、一旦スッキリしても翌日からは振り出しに戻るというという有様であった。

ちなみに、過去に1か月間禁酒をした際は便秘がなかったように記憶している。

このあたりは日常の生活リズムの変化でセンシティブに反応する部分なのかもしれない。ここ1~2年は生活環境やリズムに大きな変化があったため、そういった面も影響しているのであろう。無理やり酒で神経バランスを安定させていただけかもしれない。

酒が体内に入っていない状態に体が慣れれば、快方に向かうことを期待する。

 

 

・日常の不快感

酒を飲む習慣があるうちは、胃腸の調子がすこぶる良くない。特に胃については慢性的に胃もたれを起こしており、消化の爽快感がない。重苦しい口臭を吐き出し、朝食や昼食へのありがたみが消え失せる。アルコールと不規則な食生活で胃が弱っているのだから当然である。

過酷な労働を強いている胃に対し、贖罪のつもりで1~3日間のプチ断食を時々実施することがある。アルコール・食物が胃の中から取り除かれ、消化活動が抑制されている状態は極めて爽快である。断食などは体を弱める行為であると認識されがちであるが、むしろ活動意欲や脳の働きは、食事を抜いている間のほうが高次でさえある。

今回の酒抜きにより、胃の調子も相当程度回復するものと期待をしていた。だが、実際そうはならなかった。確かにアルコールが胃に入らないため、寝起きの空腹感もきっちりと感じることができた。そのおかげで朝食をとることは楽しくなった。ただ、消化の爽快感を得るには至らなかった。やはり長期間にわたりハードリカー等で傷ついた胃を完全回復するには、1週間ちょっとではまだまだ期間が短いのであろう。

 

腸については代謝の項でも記述したが、便秘を患うこととなった。これまでの悪習慣により記憶された腸の働き方は、禁酒を継続することで正しい方向に向かうのかもしれない。ただ、短期的には今一つ酒を抜くことの恩恵を得ることはできなかった。

 

最後に頭(=脳)への影響であるが、2~3日酒を抜くと明らかに頭の中がクリアになった。

酒を飲んだ翌日は頭の中が鈍重になる。脳の働きが地に落ちるとともに、軽い頭痛が煩わしさを与え続けるが、この鬱陶しい感覚からは、酒を抜くことで比較的すぐに解放されることが分かった。

アルコールによる脳の麻痺状態はなくなり、また睡眠の質も格段に向上する。脳がしかるべき働き方を取り戻すのであるが、要するに酒に溺れている間は、脳が酒に拘束されていると表現できる。

 

 

さて、体調面はここらで切り上げることにし、別の機会に思考面での変化も書き綴りたい。

Moriss

飲酒履歴その2

ー飲酒履歴その2-

 

前回の記事では飲酒開始から社会人生活前半までの飲酒行動をご紹介した。

本稿では、社会人生活中盤から直近までのロックな飲み方をお話ししたい。

年齢で言うと、28歳~40歳手前までの経験となる。

 

■社会人中盤戦

20代も後半になると、ある程度仕事の進め方がわかるようになり、ストレス度合いは比較的穏やかなものとなった。そのため自暴自棄になってヤケ酒を繰り返すというフェーズからは脱却し、気分的・時間的な余裕をもって酒を飲むようになった。

 

また給与も徐々に増え、金の使い方もやや派手になり始めた頃であった。もちろん居酒屋通いはするものの、小洒落た店(当時は創作料理屋が流行っていた)で美味しい食事をしながら、酒を楽しむということもしていた。

 

飲み屋に日参していた20代前半と比べると、外で飲む機会はかなり減った。しかしながら、週に3日はどこかの店に馳せ参じては、ビール・焼酎・ワインをあおることは続けていた。このようにして書くとノルマのように聞こえるかもしれないが、その通りでノルマ化していたのは事実である。

 

当時は年齢の割には背伸びをした店に通っていたように思う。

早い段階から良い店に通って、美味しい食事や珍しい酒に触れることが、自分のつまらないプライドを心地よくくすぐっていたのである。

ただ正直なところを申せば、大量飲酒が前提であるため、いかに手を尽くした料理を提供されても、味の記憶が舌に残るのは、せいぜい2品目までであった。

メイン料理に差し掛かることには、すでに出来上がってしまっていて、友人とのくだらない会話の合間に、せっかくの料理をつまみの一つとして口の中に放り込んでいただけである。

料理についての感想などは、序盤戦のみ意識の中にあるだけで、杯を重ねるごとに脳は料理よりも酒を希求し続けていた。はっきり言って、良い店である必要などはなかった。

 

酒についても同じである。銘柄にこだわって珍しい酒を供されれば感想を述べていたが、翌日になると何を飲んだかなど記憶にない。要するに酔えればよいのだから、ワンカップで十分だったはずである。その傾向はずっと続くのであるが、、、

 

健康面では、このような飲み方をしているにも関わらず、ラッキーなことに何一つ問題が生じなかった。継続的にヨガとランニングを行っていたことが奏功していたのかもしれない。

とはいえ、健康診断前の1週間は禁酒をしていたので、日常習慣のままであれば何らかの数値異常が認められたのかもしれない。

ただ、無茶な飲み方をしていても1週間で元通りになるという安心感はあった。

 

 

■直近まで

そんなこんなで30代半ばまで上記のような飲み方をしていた。

 

ただ、35歳を迎えた瞬間に酒に対する体の反応が著しく変化した。

5歳毎に酒への耐性が落ちるという噂があるが、これはまさにその通りであり、20歳の頃と比較すると年々体調の変化はあった。だが、35歳の変化は自分の中で極めて大きかった。

 

まず、痛飲をした翌日は脳がマヒしていて、まともに仕事にならない。酒も翌日の昼頃まで抜けず、昼食後に酒臭い自分をやっと感じるようになる始末であった。朝一の会議では「あー、えー、うー」しか発言できず、上司に叱責をくらったこともある。(笑)

 

とはいえ、飲んでいる最中に辛くなるかというとそんなことはなく、昔と変わらず全力で飲み続けていた。酒の抜けが悪くなったとう事実はあるものの、1回の飲酒量が落ちることはなかったし、むしろ昔日の摂取可能量まで飲むことを脳が指令しているようであった。

この時期から、自分自身が酒をコントロールできない人間であることを自覚しだした。

一旦飲酒を開始すれば、適量を守ることはできず、とことんまで飲む。これが偽りのない自分であり、あえて否定はしないが立派な「アル中」なのである。

 

さて飲み方に話を戻すと、体調の変化を感じ取るようになってからは、飲みの回数には気を遣うようになった。しかしながら、加齢とともに昇進・昇給で手元に残る金はどんどん増え、使える自由な金が増えることで、お姉さんがいる店へのはしご酒の機会が多くなったのもこの頃である。

1件目に小料理屋・居酒屋、2件目にバー、3件目にお姉さんのいる店という散財エリートコースを頻繁に歩んだ。

飲みだせば終電まで頑張ることが美徳であった。これは一人であろうが、誰かと一緒であろうが同じで、とことん飲んで「酒の強いやつ」という評価が一つのアイデンティティであった。

滅茶苦茶な発想であるが、当時は何となくそれが楽しかった。

 

ただ、そんな祭りも度を超すと徐々に虚しさを惹き起こした。そんなこんなで、今に至る。

 

あと一応健康面にも触れておくと、やはり齢40になると肝機能には少し影響が出ることもあった。ただ、医者から強い忠告を受けるような数値ではなく、基準値を少し上回る程度であった。

また、肉体においても腹が出ることはなく、適度な筋肉量をキープできている。これは30半ばから週3~4回のジム通いをしているおかげであろう。奔放な飲酒生活をしているものの、ある程度健康でいることができたのはやはり運動習慣の賜物であった。

 

 

■飲酒歴のまとめ

ホンモノの酒豪の方には及ばないものの、我ながら狂気じみた20年を過ごしてきたものだと思う。

顧みると、フルコースで飲んだ場合の一回の平均飲酒量は、ビール中ジョッキ6~7杯、焼酎お湯割り3~4杯、スコッチをロックで2杯~3杯。店にもよるが、散財は2~3万円くらい也。こんなことを月に数回繰り返していると体も財布ももたない。

結構な時間と金を酒に費やしてきた。だが、別に後悔の念はない。

酒での失敗はもちろんあるが、ガブ飲みしていた頃はそれで楽しかったし、それなりの経験もできた。

 

ただ、やはり客観視すれば「酒に呑まれていた」のは間違いないし、脳は常に酒を欲していたに違いない。

 

Moriss